北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

ヒューマン

堂前輝子さん(82)*堂前宝くじ店の「幸運の女神」*庶民の夢 売り続ける*震えた 開店前に5000人     2012/03/11
どうまえ・てるこ
旭川市出身。道庁立旭川高等女学校を卒業後、実家の堂前たばこ店で働き、20歳で嗣延さんと結婚。「主人と結婚できて良かった」と夫婦で今も店の窓口に座り、宝くじを売り続ける

 平成に入り、その小さな窓口から“億万長者のチケット”を手にした人は35人を数える。旭川市中心部の一角に建つ「堂前宝くじ店」(同市5の14)。ジャンボ宝くじの発売日の朝は、決まって一獲千金を夢見る人の列ができる。店が宝くじの販売を始めたのは1951年。当時から今も、堂前輝子さんは窓口に座り「庶民の夢」を売り続ける。

 「もともとうちは祖父の仁太郎が1900年(明治33年)に始めた堂前たばこ店が始まりです。わたしが学校を卒業してうちの店で働くようになり、夫の嗣延(つぎのぶ)(88)と結婚して1年が過ぎた21歳の時、たばこ組合の人に『なかなか宝くじを置いてくれる店がなくて。やってみないか』と頼まれたのが宝くじを売り始めたきっかけです。不安もありましたが、夫が『やってみなさい』と後押ししてくれました。その一言がなければ今はなかったです。最初は30枚を渡されたのですが、1枚100円というのは当時では結構な値段で。宝くじもまだ浸透していなく売り切るのが大変でした」

 発売から2年後の53年。早くも転機が訪れた。当時発売された「北海道くじ」の1等賞金は100万円。道内唯一の当選者が堂前さんの店で買った人だった。

 「当時店の向かいにガソリンスタンドがありまして。そこに来ていた60歳ぐらいの農家の男性が給油ついでにうちで宝くじを買っていったらしいんです。道内唯一の当選者ですから新聞にも顔写真付きで紹介されまして。男性の周囲でも随分と話題になり大変な思いもされたようです。それからですね。続々とお客さんが来るようになったのは」

 店も宝くじの売り出し情報をいち早く提供し、店名を入れた独自の袋に宝くじを入れるなどし、売り上げを伸ばしてきた。宝くじ人気が「絶頂だった」と輝子さんが語る76年。師走のある朝、店の周りには5千人近い行列ができていた。

 「年末ジャンボ宝くじが発売になる12月21日の朝でした。起きてみると店の周りに何重もの人の列ができていたんです。震え上がりましたね。前日の晩の8時から並んでいた人もいて、すぐに店を開けました。ストーブを持ってきて暖を取っている人やら、店の周りの雪かきをしてくれている人までいました。警察の方も警備に30人近く集まって。近所の商店主が1杯100円で甘酒を売りにも来ました」

 数多くの高額当選者を輩出してきた堂前宝くじ店。輝子さんは目の前で夢をつかんだ人たちを見てきた。

 「60代の男性でしたね。店の前で1千万円が当たったことが分かった瞬間、急に男性の体が震え出し、しゃがみ込んだんです。呼吸も乱れ始めたものですから水を差し上げて。『家内に突きつけてやる』と言っていました。奥さんに文句を言われながら20年近く宝くじを買い続けていたようで。心底喜んでいましたよ」

 「倒産寸前の建設会社の社長が1千万円を当てて『堂前さんのおかげで会社がつぶれずに済んだ』とお礼に来てくれたこともありました。一緒に万歳三唱をして、わたしもすごくうれしかったです。それから離婚したばかりの女性が1億3千万円を当てたこともあって。子供が2人いたようで、店に招いて計画的に使いなさいと話したりもしました。5年ほど前には、うちで宝くじを買い続けて40年目になる男性が1億円を当てたこともありました。その方は今も買ってますよ」

 店は宝くじファンに「聖地」と呼ばれ、観光バスが来るほど道内外に知れ渡る。だが、ここ2年は1億円以上の高額当選がない。それだけに、1等前後賞を合わせ、過去最高の5億円が当たる「東日本大震災復興支援グリーンジャンボ宝くじ」への期待は大きい。

 「今回の宝くじで1等が出れば話題になるでしょうね。うちで買った人みんなが願っているでしょう。千枚買った人も2人います。今回に限らず、隣の窓口に夫が座っていても、わたしから買いたいって言う人は多いです。わたしじゃなきゃ嫌だって。毎日握手を求められ、拝んでいく人までいます。わたし自身は宝くじを買ったことがないですが、宝くじを売るのは人に喜んでもらえているようで本当に楽しいですよ」

旭川報道部 木村啓太

どうしん電子版
戻る