北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

平塚清隆さん(55)*北鎮記念館館長*旧第7師団の歴史など展示*「軍都」の事実伝える     2011/05/15
 ひらつか・きよたか 北見市出身。北見柏陽高卒業後、陸上自衛隊に入隊。旭川の旧第9普通科連隊、第25普通科連隊(遠軽)などを経て、2006年から北鎮記念館の館長を務める。1等陸尉。

 旧陸軍第7師団が駐屯した戦前は「軍都」と呼ばれた旭川。その歴史を伝えるのが陸上自衛隊旭川駐屯地の資料館「北鎮記念館」(旭川市春光町)だ。2007年に駐屯地内から国道40号沿いの現在地に移転改築。市民や観光客が足を運びやすくなり、今年1月には移転後の入場者数が10万人を突破した。移転前から館長を務める平塚清隆さんに、展示物に対する思いや歴史を語り継ぐ意味を聞いた。(旭川報道部 立野理彦)

 −−そもそも北鎮記念館はどのような施設なのですか。

 「北海道の防衛と開拓の歴史を伝える施設です。屯田兵や第7師団の歴史、陸自第2師団の活動などに関する約2500点の資料を展示しています。記念館で最も貴重な資料とされるのが『第7師団史』。開拓使が設置された1869年(明治2年)から1945年6月までの師団の行動や人事などが克明に記されている機密文書なのです。戦後は焼却処分されるところ、関係者が『これだけ貴重なものを燃やすわけにはいかない』と、油紙に包んで畑に埋め、大切に保管していたのです。このように大半の資料は寄贈されたもの。旧軍と現在の自衛隊には直接のつながりはありませんから」

 −−記念館の歩みを教えてください。

 「1962年に日露戦争でコサック騎兵が使った軍刀の寄贈があり、当時の第2師団長だった和田盛哉氏が『今のうちに北方防衛の資料を集めなければ散逸してしまう』と提案したのがきっかけです。旧軍関係者や遺族たちから資料を集め、64年に開館しました。来館者数は当初、年間3千人くらいでしたが、観光コースに組み込まれたこともあり、改築前には年間1万〜1万5千人くらいにまで伸びました。改築して最初の年は約3万6千人が訪れ、その後は2万数千人で推移しています」

 −−来館されるのはどんな方が多いのですか。

 「軍隊経験者や戦没者遺族など年配の人たちから小学生まで幅広いですね。以前は高齢者の団体客が多かったのですが、最近は歴史愛好家を中心に個人が増えてきました」

 −−戦前の軍事関係資料を集めた施設といえば、靖国神社の「遊就館」が有名ですが、どう違うのですか。

 「自衛隊の施設ということで警戒する人もいますが、北鎮記念館は事実を事実としてのみ伝えようとする努力をしています。移転改築に当たっては外部の展示委員のご意見をいただき、解説文は事実のみを記しました。見学を終えた後、それぞれ自分なりの考えを持っていただけたらありがたいと思っています」

 −−旭川と旧第7師団のかかわりについて、平塚さんはどう考えていらっしゃいますか。

 「旭川の歴史を語る上で、どうしても避けては通れない事実だと思います。経済的な面だけでなく、文化的にも大きな影響を与えるところがありました。第7師団参謀長を務めた歌人の斎藤瀏(りゅう)、女性歌人の第一人者だった斎藤史の親子は有名ですが、ロシア文学者の米川正夫もロシア語教官を務めていました。(軍隊の)悪い面はあったでしょうが、良かったところもあります。記念館ではそれをありのままに見てもらいたいと思っています」

記者のメモから
 以前も記念館を見学したことがあったが、取材を終えた後で館内を案内してもらった。「1時間コースでいいですか」。よどみない解説に耳を傾け、一通り回るとぴったり1時間。練度の高さを感じた。
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