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ヒューマン

浅川誠さん(33)*旭川在住のプロ・フリースキーヤー*冬は旭岳拠点 撮影やガイド*自由に滑る楽しさ発信   2008/02/03

<略歴>
 あさかわ・まこと 1974年、旭川市出身。中学までスキー選手として活躍。会社員などを経て、25歳から夏は働き冬はスキーに打ち込む生活を送る。自然地形でのダイナミックな滑りが注目され、スキー雑誌出演やDVD「icon5」(夷フィルムス)出演など活動の幅を広げている。スポンサーはヴェクターグライド(スキー)やフェニックス(ウエア)、グレゴリー(ザック)など7社。

  「フリースキー」という耳慣れない言葉がある。「雪山を形式にとらわれず自由に滑ろう」という、競技スキーの対極にあるスタイルだ。旭川市在住の浅川誠さん(33)は、道内最高峰・旭岳(2290メートル)を中心に滑りに打ち込み、用具会社とのスポンサー契約や雑誌出演が相次ぐ「プロ」のフリースキーヤーだ。「地元にこだわり、滑り続けたい」と語る浅川さんに、旭川周辺のスキー環境と魅力を聞いた。

(旭川報道部 十亀敬介)

 −−「プロ」と聞くと大会に出て賞金を稼ぐイメージです。競技の世界とかけ離れたフリースキーが、なぜ「プロ」につながるのでしょうか。

 「極端に言うと、自分は雪山を自由に滑っているだけのフリースキーヤー。冬はほぼ毎日、旭岳や十勝岳連峰、旭川周辺のスキー場に行きます。滑るうちに友人、知人が増え、『うちの道具を使って』という誘いが相次ぎました。現在はスキー板やウエア、金具、ブーツなどスキー用具の大半は各メーカーの提供です。フリースキーの『プロ』は、こうした物品提供が基本で契約金の支払いはまれ。私も資金提供は一社だけで、お金もうけとは縁遠い世界です」

 −−冬はスキー中心の生活だそうですが、そうなった経緯を教えてください。

 「中学まではスキー選手でした。しかし勝利至上主義の世界に疑問が募ったことなどから、15歳で競技から離れました。その後スキーは付き合い程度にとどめていましたが、25歳の時に『自分が一番できることはスキーだ』『雪山を自由に滑る楽しさを追求したい』との思いを抑えきれなくなり、10年のブランクからスキー漬けの生活に戻りました。一時はスキークロスという競技もやりましたが、結局勝利を目指した自分に違和感を感じ、ただ滑ることに没頭し始めたんです」

 −−スキーに打ち込むことで何か犠牲にするものがあるのでは。

 「用具や資金の提供はありますが、正直に言うと、それだけでは食べていけません。ですから、毎年3月から12月までは美瑛町にある農協の工場で期間契約で働き、冬の活動資金を稼いでいます。世間から見ると生活水準は決して高くないのでしょうが、それでもスキーに専念したい。われながら『スキーばか』だと思います。冬の“拠点”は旭岳。旭川から近く、世界に誇れる雪質の良さがある。午前は旭岳、午後は旭川のカムイスキーリンクス、ナイターはぴっぷスキー場と、よく掛け持ちもしました」

 −−そんなライフスタイルを貫くうちにプロカメラマンから撮影依頼が来たりDVDに出演したり。スキー愛好者には夢のような話ですね。

 「単純に滑るだけでなく、カメラマンと意思疎通して作品を作り上げることにやりがいを感じます。良い写真が撮影できれば、雑誌などに掲載される。そうすれば提供を受けた用具の宣伝にもなります。撮影以外にも、スポンサーのスキー板メーカー主催のユーザー向けイベントで、旭岳を訪れた人のガイドもします。こうしたプロとしての仕事は、この冬は通算1カ月半くらいです」

 −−活動の幅が広がり、新たな目標もできたのではないですか。

 「プロとして露出が増えたことで自分の世界が広がってきました。2月には私が主催する2泊3日のスキーツアーを初めて行います。『有料でもかまわないので、旭岳や旭川周辺のスキー場を一緒に滑り案内して』と依頼があったからです。今後はこうしたツアーを継続して行いたい。根本には、旭川周辺はスキー場や山岳スキーの適地が多く素晴らしい環境だということがある。スキーを通じて、その魅力を多くの人に伝え、生まれ育った旭川に恩返しができれば−と願っています」

記者のメモから

 「子どもの時にスキーを与えてくれた親に感謝している」と語っていたのが印象に残る。自らを「スキーばか」と評して笑った浅川さんは「旭川にはスキーやスノーボードにとりつかれた熱い人間がまだまだいますよ」と教えてくれた。そんな人たちが旭川をはじめとした冬の北海道の素晴らしさを広く発信してくれるのかもしれない。

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