北海道新聞旭川支社
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ヒューマン

小田島尚人さん(26)*和寒のギター職人*旧校舎発 世界に通用する楽器*道産材で納得の音を 2007/01/21
小田島尚人さん

<略歴>
 おだじま・なおと 1980年、岩手県北上市生まれ。地元の工業高校を卒業後、単身渡米。米国で9カ月間、理論や構造も含めてギター製作を学ぶ。2005年12月、和寒町で工房を開く。

 すべてが手作業。ゆっくりと時間をかけて木材が削られてゆく。和寒町の市街地から西に十キロ。旧西和小校舎の一室に小田島さんのギター工房がある。岩手県に生まれ、米国でギター製作を学んだ後、北の大地にあこがれ、たどり着いたのが同町。今では製作の丁寧さで札幌の専門店から厚い信頼を得ている。現在、道産材を使ったギター製作に没頭する小田島さんに、ギターに対する思いと夢を聞いた。(士別支局 花城潤)

 −−ギターを作ろうと思ったきっかけは。

 「趣味でギターを弾いていた父の影響で、高一の時に弾き始めました。最初は歌謡曲にコードを当てて演奏するだけ。でも徐々に『なぜこんなにきれいな音がするんだろう』と疑問がわき、高三の時、作ってみたいと思ったんです。高校卒業後、東京の専門学校で製作を二年間学びましたが『まだ仕事でやっていけるレベルではない』と感じ、二○○一年、ギター作りの本場・米国に渡りました」

 −−米国ではどんな生活でしたか。

 「最初は英語が話せず大変でした。アリゾナ州のギター製作学校に半年間通ったのですが、授業はすべて英語。午前五時半に起き、まず英語を必死に勉強です。ある時、同級生や講師に『日本のギターは二流』と言われ、悔しくて昼食の時間もアパートに帰ってからもひたすらギター作りの基本を学びました。さらに技術を磨きたいと思い、カリフォルニア州の職人にも三カ月間弟子入りしました」

 −−米国のギター作りとは。

 「米国のギター職人は形式にとらわれず、自由な発想を貫いているように思います。極端に言うと、日本だと、のみ一本の技術にこだわりますが、米国では売れるギターを作るためにあらゆる道具を使う。プロの感覚を肌で感じました」

 −−なぜ和寒町で工房を構えたのですか。

 「雄大な自然に囲まれた北海道にあこがれたのと、知り合いのいない土地でゼロから始めたかったからです。道内を十数カ所巡り、工房に使わせてもらえそうな学校跡を探し歩き、たどり着いたのが和寒でした。和寒に住んで丸一年が過ぎ、最近、近所の人たちが野菜を差し入れしてくれるんです。こんなにうれしいことはないですよね」

 −−今はどんな一日を送っているのですか。

 「今、東京や札幌から七台の注文を受けています。手作業なので、どんなに頑張っても一カ月に一本を完成させるのが限界。ですから、納期が近づくと徹夜の日々が続きます。でも、大変だとは思いません。楽しくてしょうがない。納得できる音が出る一本ができた時の喜びは、何物にも替え難いんです」

 −−これからの夢は。

 「北海道で世界に通用するギターを作ることです。今、道産材のエゾマツやイタヤカエデを使って試作しています。道産材は寒い土地で育っているため、年輪が締まって質が良いんです。どんな音が出るのか楽しみ。自分の作ったギターを百年後、二百年後、どこかの国の誰かが弾いている−。そんなギターが作れたらうれしいですね」

記者のメモから
 趣味はもちろんギター演奏で、ギターの話をすると止まらない。「完成したギターを納品する時は、親が子どもを手離すのと同じくらい寂しくなります」という。謙虚な姿勢で音への追求に励む姿を見て、この人の作るギターは間違いがないと思った。世界に羽ばたいてほしい。
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