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北極星

西谷栄治(利尻町立博物館学芸課長)*鯨は島の歴史の扉    2013/07/12

 利尻島の歴史を調べていくと、古代から近世にかけて鯨が出てくる。古代ではオホーツク文化を残した人たちが、トナカイの角にセミクジラと思われる鯨を刻んだ。鯨を食べ物、油の原料として利用し、骨は道具に使っていたことは明らかである。

 アイヌの人たちによる地名として、利尻島と礼文島の最短地点に「ポロフンベ」と「奮部(ふんべ)」が残っている。「フンペ」は鯨を意味する。鯨が生活に欠かせない大切な動物だったからか、それとも利尻島と礼文島の間は鯨の通り道だったからなのか。

 1696年に泰山(利尻山)に漂着した朝鮮人が残した「漂舟録」には、鯨の干し肉が大量に積まれていたことが記されている。当時の松前名産で、水戸光圀(みつくに)も食した石焼き鯨だったと思われる。

 近世になって、鎖国下の1848年に密入国を果たしたラナルド・マクドナルドは、ハワイを出港した捕鯨船に乗り、捕鯨終了後に単身ボートに移って利尻島に上陸した。約1カ月滞在した後、長崎に送られる。5年後、ペリーが浦賀に来て、翌年に日米和親条約を結んだ目的は、アメリカの捕鯨船や乗組員を保護し、燃料や食糧を確保するためだった。

 古代から近世にかけ、鯨は利尻島の歴史において重要であったことがわかる。しかし現在は身近な動物とは言えず、回遊や漂着の記録もほとんどない。歴史資料で鯨に出合うたび、利尻・礼文島への回帰を願ってしまう。

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