北海道新聞旭川支社
Hokkaido shimbun press Asahikawa branch

旭山動物園わくわく日記

ダチョウの命*新人飼育員 責任を痛感     2014/03/17
新人飼育員としてダチョウを世話する中田さん=93年

 私が旭川市職員として採用され、旭山動物園に配属されたのは1993年。7年ぶりの新人飼育員として旭山の一員となりました。当時は来園者数も少なく、地方の一動物園といった感じでした。

 それまで私は市の臨時職員として、ごみを収集する清掃事業所に勤めていました。市の採用試験に合格。なれ親しんだ清掃事業所が第1希望の職場でしたが、辞令に「旭山動物園飼育係を命ずる」とあり、驚きました。

 なにせ動物が苦手で、興味も知識も全くありません。「俺には無理だ」と思い、最初の研修をサボる始末でした。当時の園長や係長、人事課職員に説得され、渋々働くことにしましたが、いつ辞めようかと常に考えていました。

 初めて担当したのはダチョウ、クジャク、キジ、カピバラでした。先輩から「ダチョウが産んだ卵を取り上げ、ふ卵機(卵を温める機械)に入れるんだ。そして1日3回は転卵するんだ。忘れるなよ」と指導されました。転卵とは、卵を数時間おきに3分の1ほど回転させること。野生のダチョウもする行動です。言われるがまま、訳も分からず卵を毎日コロコロ転がしていると、ある朝、たわしのようなバリバリとした毛に覆われたひなが1羽ふ化していました。「先輩、何か産まれてましたけど…」。そう伝えると先輩たちは「おぅ、でかしたぞ!」と大喜びです。実は旭山でのダチョウ繁殖はこれが初めてだったのです。

 その日から、ひなを育て始めたのですが、ふ化3日目に死んでしまいました。死骸を見つめて「生まれたばかりの命が、たった3日で消えてしまった。この仕事は半端な気持ちじゃ務まらない!」と感じました。その日から動物のことを知らなければと思うようになりました。この出来事がなければ今の私はなかったと思います。はかなく消えた小さな命は新人飼育員に命と向き合う姿勢と命を預かる責任を教えてくれたのです。

 その後、たくさんの動物の生と死を通し、今も大切なことを教わり続けています。そんな動物たちに感謝です。(飼育展示係長 中田真一)


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